村人を救って教科書になった~濱口梧陵

震災時にはまず生命の安全を確保すること、そのためには正確な情報を速やかに伝達することが何よりも大切だ。梧陵の沈着にして果断な行動から得られる教訓はこれに尽きるが、彼の偉業はやがてラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の知るとこ… 続きを読む 村人を救って教科書になった~濱口梧陵

紀州広村の村人の命を救った~濱口梧陵①

安政元年(1854年)、11月5日、午後4時頃、前々日の安政東海地震に続き、安政南海地震が発生した。震源は紀伊半島から四国沖、マグニチュード8.4-8.5、最大震度6-7(新宮など)と推定される巨大地震である。 その夜、… 続きを読む 紀州広村の村人の命を救った~濱口梧陵①

醤油発祥の地は湯浅!?

皆さんの家庭では、普段どんな醤油を使っていますか。キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタ・・・。我が家は、昔からヤマサ醤油のファンです。そのヤマサ醤油の起源は和歌山県の湯浅にあることをご存知ですか。その味が好きで長年使ってきた醤油… 続きを読む 醤油発祥の地は湯浅!?

堀内氏善の奥熊野統一

堀内氏の出現 戦国時代の奥熊野地方は、小豪族が各地にあってそれぞれが独立して領地を治めていました。特に熊野三山とその周辺の土地は、三山の領地として(神領)として認められていました。その神領を七上綱と呼ばれる人たちが合議制… 続きを読む 堀内氏善の奥熊野統一

幕末の開明家・国学者の領主~水野忠央

政治的な活動 紀州徳川家は、いわゆる「御三家」としてその力を発揮したわけですが、その付家老として活躍したのが、田辺の安藤家と新宮の水野家でした。安藤が本藩担当(和歌山)、水野が江戸詰めという役割でした。 その新宮領水野氏… 続きを読む 幕末の開明家・国学者の領主~水野忠央

成川屋佐兵衛と海の道

平安時代、日本における大消費地といえば、京都しかありませんでした。京都の人口を養うための海港が敦賀であり、北陸沿岸の米その他の物資が海路敦賀に集められました。その後、荷は馬の背に乗せて背後の山塊ひとつを越え琵琶湖で船積み… 続きを読む 成川屋佐兵衛と海の道

新宮正春・熊エプ投稿文 4~新宮八景

歴史小説作家で元報知新聞巨人軍キャップの新宮正春さんが熊野エクスプレスに寄せた「新宮八景」についての投稿があります。かつての熊エプ読者はとうにご存知のことですが、非常に中身の濃い内容で埋もれさせておくのはもったいないと思… 続きを読む 新宮正春・熊エプ投稿文 4~新宮八景

新宮正春・熊エプ投稿文 2

既に紹介済みの新宮正春特集「その時、熊野は動いた」の連載が始まる前に、作家の新宮正春さんが、熊野エクスプレスに送ってくれた暖かいメールです。締切迫る仕事の原稿よりも熊エプへの投稿に夢中になるというのがいかにも郷土愛に溢れ… 続きを読む 新宮正春・熊エプ投稿文 2

その時、熊野は動いた⑨~幻ではなかった新宮県

慶長4年(明治元年=1868)1月、王政復古により明治政府が成立したとき、紀州藩付家老で「新宮藩」の第十代藩主だった水野大炊頭忠幹(みずのおおいのかみただもと)が藩屏(はんぺい、藩の重鎮)に列せられ、紀州本藩からはじめて… 続きを読む その時、熊野は動いた⑨~幻ではなかった新宮県