太地町の捕鯨の歴史⑧~熊野に納められた古式捕鯨図

熊野は富士山、熱田神宮と並んで日本の蓬莱信仰の三大対象地であって、また、神武天皇が八咫烏の先導により、大和の橿原宮に入った時に、入跡したところでもあり、霊験あらたかな土地柄である。そして、くじらは古事記の神武天皇の条に久… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史⑧~熊野に納められた古式捕鯨図

太地町の捕鯨の歴史⑦~鯨方の福祉制度

太地の鯨方では特別な「福祉制度」を設けていた。それは、捕獲活動で負傷した者やその家族、命を落とした者の家族を救済する制度である。また、高齢のため過激な労働ができなくなった場合には陸上での軽い作業が与えられ、生活を支えた。… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史⑦~鯨方の福祉制度

太地町の捕鯨の歴史⑥~復元された捕鯨史跡

日本で最初に鯨油を用いた燈明灯台、寛永13年(1636)に建てられた「東明崎」もまた山見の置かれた場所だった。かつて太地崎などと呼ばれたが、灯台ができて明かりが灯されるようになると「灯明崎」になり、今では、東にあるこの岬… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史⑥~復元された捕鯨史跡

太地町の捕鯨の歴史⑤~遭難者とくじらの供養塔

明治11(1878)年、の「大背美流れ」事件は、船をほとんど失い、百人余りの漁師が亡くなるという、太地捕鯨の歴史の中で最も大きな事件であった。この時の遭難者の供養のための供養塔「漂流人記念碑」が、太地漁港を見下ろす旧県道… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史⑤~遭難者とくじらの供養塔

太地町の捕鯨の歴史④~和田一族の墓

太地捕鯨の歴史は、そのまま和田一族の歴史でもある。和田一族の菩提寺「順心寺」には、一族代々の墓が建ち並び、日本で初めて突取法により捕鯨業を始めたとされる和田頼元の墓もあるが、中でも最も大きな五輪塔の初代角右衛門頼治の墓か… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史④~和田一族の墓

太地町の捕鯨の歴史③~古式捕鯨から近代捕鯨へ

遭難事件によって一度は終焉した太地の捕鯨であったが、生き残った人々の手で細々と捕鯨が再開された。わずかに残った古式捕鯨の道具をもとに捕鯨を再開する者や、外部の資本家の力を借りて再開する者もいたが、期待する成果は得られなか… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史③~古式捕鯨から近代捕鯨へ

太地町の捕鯨の歴史②~「背美流れ遭難事件」と鯨方の終焉

日本の捕鯨場が大きな打撃を受けるさなか、太地では追い打ちをかける悲劇が起こった。明治11(1878)年12月24日の午後に「子連れのセミクジラ発見」という報せが鯨方の総指揮者である和田、太地両家に伝えられた。 季節性の大… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史②~「背美流れ遭難事件」と鯨方の終焉