新宮ゆかりの文学者たち~④岡橋宣介

岡橋宣介(1897-1979) 岡橋宣介は新宮市佐野に生まれ、長じて大阪で特許事務所を開設します。昭和8年(1933年)ごろより川柳に関心を持ち、昭和11年(1936年)には新興俳句の理念に共鳴、日野草城に師事します。俳… 続きを読む 新宮ゆかりの文学者たち~④岡橋宣介

現代文学の旗手~中上健次

戦後生まれで初の芥川賞受賞 1946中年(昭和21年)8月2日生まれの中上健次は、県立新宮高校を卒業するとすぐに上京します。東京オリンピックで大きく変貌を遂げた直後の東京でした。同人雑誌「文藝首都」で文学修業をし、ジャズ… 続きを読む 現代文学の旗手~中上健次

明治期以来の学者列伝~④福田静処

福田世耕(静処)(1865-1944)は、新宮藩士中村淳一の次男として、丹鶴城下明神山麓の379番地に生まれました。母はいし、長男は行藏(後に書で有名、号は師竹)、姉はな、妹こうのの6人家族でした。後に福田家の養子になり… 続きを読む 明治期以来の学者列伝~④福田静処

明治期以来の学者列伝~③宇都宮三郎

宇都宮三郎(1834-1902)は、柳河春三と同じく尾張藩浪士です。春三の推挙で、忠央が建造した西洋船「丹鶴丸」の操船を依頼されます。 丹鶴丸について「此船のことに懸ったのは未の年の2月で、3,4,5と4箇月ばかり懸って… 続きを読む 明治期以来の学者列伝~③宇都宮三郎

明治期以来の学者列伝~②柳河春三

柳河春三(1832-1870)は、尾張名古屋に生まれ、医学を修め、また洋学にも通じていたため、安政5年(1858年)10月、水野忠央より家臣に迎えられ、洋書百巻余りを翻訳、さらに医師として仕えただけでなく、新宮藩が建てた… 続きを読む 明治期以来の学者列伝~②柳河春三

明治期以来の学者列伝~①山田常典

伊予国吉田藩(現在の愛媛県宇和島市)に生まれ、江戸に出て国学を修めついに大家となりました。水野忠央はその学問のすぐれていることを知り、家臣に迎え、「丹鶴叢書」の編纂の責任者としました。「丹鶴叢書」とは、古い書物のなかでも… 続きを読む 明治期以来の学者列伝~①山田常典

幸徳秋水~「大逆事件」と新宮

幸徳秋水 1908年(明治41年)、社会主義の思想家幸徳秋水が高知の中村(現四万十市)から上京の途中、新宮に大石誠之助を訪ねてきて、しばらく滞在します。その間、秋水はアメリカで学んできた、ゼネストなどについて話しています… 続きを読む 幸徳秋水~「大逆事件」と新宮

新宮市の歴史遺構

新宮市で文化複合施設建設の掘削作業中に、国史跡級の遺構が発見されました。 このことについて、新宮市は建物建設のためには、遺構を破壊して仕方がないと考えているように思えます。 このことについて、以下のページで取り上げられて… 続きを読む 新宮市の歴史遺構

与謝野寛の碑(新宮城跡)

与謝野寛は明治39年と明治42年に来新。佐藤春夫の文学的出発の契機となりました。この碑の短歌は39年の作で、春夫が建てるならこの短歌をと指定した「高く立ち 秋の熊野の海を見て 誰ぞ涙すや城の夕べに」が刻まれています。 な… 続きを読む 与謝野寛の碑(新宮城跡)

滞在して文化に貢献した人たち③~広岡九一と中畑艸人

広岡九一(1898-1988)が新宮高等女学校の教諭として赴任するのは1925年(大正14年)3月のことで、1928年(昭和3年)3月新宮を去りますが、「熊野音楽界の恩人」といわれるように、「新宮楽友会」や「新宮管弦団」… 続きを読む 滞在して文化に貢献した人たち③~広岡九一と中畑艸人