滞在して文化に貢献した人たち②~石川弘

滞在して文化に貢献した人たち②~石川弘 石川弘(1876-1933)は、新宮高等女学校校長として、1917年(大正6年)8月から、1924年(同13年)6月まで在任しました。ちょうど女学校が、県立に移管してすぐのころで、… 続きを読む 滞在して文化に貢献した人たち②~石川弘

コッツウォルズ紀行⑭~カッスルクーム

やがて車はM4のJ17で高速を降りA429を南に向かう。 地図を頼りにしばらく行くがB4039に入る右折する道がわからない。 標識がないのである。 こういう時は慌てないのが得策。 高速で一度も休憩せずに飛ばしてきたし朝の… 続きを読む コッツウォルズ紀行⑭~カッスルクーム

梅雨の合間の出来事

6月22日 新宮高校出身の写真家・鈴木理策氏が芥川賞作家・又吉直樹さんと「芸術新潮」の取材で佐藤春夫記念館に辻本雄一館長を訪ねて来館。記念館でひと時を過ごし、その後、神倉神社へ。 6月23日には、田辺第一小学校5年生が和… 続きを読む 梅雨の合間の出来事

滞在して文化に貢献した人たち①~赤松麟作

滞在して文化に貢献した人たち①~赤松麟作 赤松麟作(1878~1953)が新宮中学に美術教諭として勤めたのは、わずかに1年余(1903年(明治36年))3月から04年(明治37年)6月)でしたが、すでに代表作としての「夜… 続きを読む 滞在して文化に貢献した人たち①~赤松麟作

歌人や俳人たちの来訪

歌人や俳人たちの来訪 歌人や俳人たちも熊野の魅力にひきつけられて訪れ、作品を残しています。1912年(明治45年)3月には歌人の釈迢空(折口信夫)が、学生たちを連れて伊勢志摩から紀伊半島を踏破、遭難の危機にも遭っています… 続きを読む 歌人や俳人たちの来訪

大正時代の西村サロンのことなど

大正時代の西村サロンのことなど 大正時代に入って、石井柏亭は1913年(大正2年)にも新宮を訪れ、西村伊作邸にしばらく滞在、池田港の風景を描いた名作「滞船」を描き、この年の文展(文部省美術展覧会)に入選して話題となりまし… 続きを読む 大正時代の西村サロンのことなど

新宮を訪れた文化人たち

陸の孤島への文化の伝来 明治時代以降、陸の孤島といわれ、鉄道はもちろん道路網も整備されず海路だけが唯一の交通手段であった時代に、この熊野新宮の地を訪れた文化人たち、その人々が残した言行のいくつかが新宮の文化向上に大きな役… 続きを読む 新宮を訪れた文化人たち

新宮ゆかりの文学者たち~③下村悦夫生誕の地

下村悦夫生誕の地(新宮市池田1丁目付近)【地図】 下村悦夫(本名悦雄1894-1945)は、大正・昭和にかけて活躍した時代小説家。代表作「悲願千人斬」などがある。歌集に「口笛」「熊野うた」がある。 下村悦夫は明治27年(… 続きを読む 新宮ゆかりの文学者たち~③下村悦夫生誕の地