永田衡吉生誕地(千穂3丁目7-10付近、現裁判所)【地図】 永田平衡(1893-1990)は大正期から昭和期にかけて活躍した長編史劇の劇作家であるとともに、柳田国男に師事し日本の民俗学(特に民俗芸能)にも大きな足跡を残し… 続きを読む 新宮ゆかりの文学者たち~②永田衡吉生誕の地
抽象画家の先駆け~村井正誠②
抽象画を発表、注目を浴びる 1932年(昭和7年)7月、27歳のときに帰国し、翌年2月、小川孝子と結婚します。1934年(昭和9年)2月、村井正誠個展を銀座の紀伊国屋ギャラリーで開催して好評を得ます。 「村井君の滞欧作品… 続きを読む 抽象画家の先駆け~村井正誠②
抽象画家の先駆け~村井正誠①
村井正誠生育の家跡(新宮市下本町1丁目2-16)【地図】 村井正誠(1906-1999)は、最初期の抽象画家。新宮市民会館の壁画や新宮高校正面玄関の絵画。お城の与謝野寛の碑などの作品が新宮市内に残っています。父は村井眼科… 続きを読む 抽象画家の先駆け~村井正誠①
江戸千家の茶人~川上不白
川上不白顕彰碑(新宮城跡内、東屋付近)【地図】 川上不白(1719~1807、江戸千家流祖)は、江戸中期を代表する茶人、京都の表千家で修業して後、江戸に出て活躍、大勢の門下生をもちました。池田町の生まれで、晩年、本廣寺に… 続きを読む 江戸千家の茶人~川上不白
新宮市名誉市民・東くめ④~よろこびと感謝
このたびは皆様の一方ならぬご尽力にて鳩ぽっぽ歌碑の除幕式、新宮市名誉市民賞の授与式にお迎えいただきまして、七十年の長い年月なつかしく思いつづけて居りました私の生まれた土地に帰る事が出来ましたことを誠にありがたく御礼申し上… 続きを読む 新宮市名誉市民・東くめ④~よろこびと感謝
東くめのこと③~新宮訪問を振り返って(あや子記)
1962年7月15日! 思えば今回の新宮訪問は母にとってはもとより、私共にとっても非常に輝かしい光栄に満ちたものでありました。過って父基吉が母と共著の歌集を出版しました頃に、なつかしい故郷新宮の事をよく私共に語って居られ… 続きを読む 東くめのこと③~新宮訪問を振り返って(あや子記)
ダンスは世界の共通語~玉置眞吉②
ダンスを通して世界を見つづけた後半生 こ の大仕事を終えて2年後、眞吉は「玉置舞踏学院」を解説しました。まだテレビもない時代、洋書店で手に入れたイギリスのダンスの教則本を研究しながら、東 京で社交ダンス教師の地位を固めて… 続きを読む ダンスは世界の共通語~玉置眞吉②
ダンスは世界の共通語~玉置眞吉①
1910年代から20年代にかけての日本は、「大正デモクラシー」の言葉に代表されるように、人々の自由と民主主義を求める運動が各地に広がった時期でした。そしてこの時代の雰囲気は「文化学院」という自由な学校を生み出し、そこには… 続きを読む ダンスは世界の共通語~玉置眞吉①
東くめ②~名誉市民称号授与式のこと(あや子記)
1962年7月15日! 「はとぽっぽ」歌碑の除幕式を終え、直ぐに母の旧い母校丹鶴小学校へまいりました。ここで名誉市民章授与の式が催されるのです。この丹鶴小学校の玄関に古びた大太鼓が置かれてありました。その昔母はこの太鼓を… 続きを読む 東くめ②~名誉市民称号授与式のこと(あや子記)
大石誠之助宅跡
大石誠之助宅跡(新宮市船町2丁目2-2~4-1)【地図】 大石誠之助(1867-1911)が大逆事件に連座するまで住宅兼医院として使っていました。当時の新宮の知識人の中で社会主義の枠にはまらないユニークな思想を展開したリ… 続きを読む 大石誠之助宅跡