太地捕鯨の歴史は、そのまま和田一族の歴史でもある。和田一族の菩提寺「順心寺」には、一族代々の墓が建ち並び、日本で初めて突取法により捕鯨業を始めたとされる和田頼元の墓もあるが、中でも最も大きな五輪塔の初代角右衛門頼治の墓か… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史④~和田一族の墓
太地町の捕鯨の歴史③~古式捕鯨から近代捕鯨へ
遭難事件によって一度は終焉した太地の捕鯨であったが、生き残った人々の手で細々と捕鯨が再開された。わずかに残った古式捕鯨の道具をもとに捕鯨を再開する者や、外部の資本家の力を借りて再開する者もいたが、期待する成果は得られなか… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史③~古式捕鯨から近代捕鯨へ
太地町の捕鯨の歴史②~「背美流れ遭難事件」と鯨方の終焉
日本の捕鯨場が大きな打撃を受けるさなか、太地では追い打ちをかける悲劇が起こった。明治11(1878)年12月24日の午後に「子連れのセミクジラ発見」という報せが鯨方の総指揮者である和田、太地両家に伝えられた。 季節性の大… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史②~「背美流れ遭難事件」と鯨方の終焉
太地町の捕鯨の歴史①~捕鯨のはじまり
和歌山県太地町の捕鯨の歴史は古く、日本の捕鯨の歴史といっても過言ではない。今から400年以上も前の慶長11年(1606)に地元の豪族出身である和田忠兵衛頼元と、泉州堺(大阪府堺市)の伊右衛門と尾州師崎(愛知県知多郡南知多… 続きを読む 太地町の捕鯨の歴史①~捕鯨のはじまり
谷中安規「画人としての半生」
旬日ならずして、風の如く、当時、新築の佐藤春夫氏方にまかりいでぬ。君のくるのを待ってゐたと申されき、「苦楽」と云ふ雑誌に支那小説をかくが挿絵をかきては如何に、約一年程、連続す、さすれば君の生活も助からう、われ未熟乍ら人の… 続きを読む 谷中安規「画人としての半生」
谷中安規
内田百閒に「風船画伯」と呼ばれた流浪の版画家谷中安規は、1897(明治30)年奈良県磯城郡(現・桜井市)、昔から観音信仰で有名な長谷寺近くの参道の商家で生まれています。母を6歳で亡くし、1904(明治37)年頃、父の仕事… 続きを読む 谷中安規
「絵本 FOU」
美術的な才能にも恵まれていた佐藤春夫は、ほんの装丁、本造りにもなみなみならぬ関心を抱いていた作家でした。主人公の画家マキ・イシノのフランス・パリでの暮らしぶりをややメルヘンチックに描いた作品が『FOU 一名「おれもさう思… 続きを読む 「絵本 FOU」
「街の本」シリーズ
谷中安規が、1933(昭和8)年の国画会に出品した<街の本>は4点シリーズ。「ムーラン・ルージュ」はパリの有名なレヴュー劇場をまねた新宿の軽演劇「ムーラン・ルージュ新宿座」がモチーフ。赤い電飾を灯した4枚羽のムーラン・ル… 続きを読む 「街の本」シリーズ
風船画伯・谷中安規と佐藤春夫
この記事は、平成28年11月15日(火)から、29年3月12日(日)まで佐藤春夫記念館で開催された企画展「風船画伯・谷中安規と佐藤春夫」に用いられたトーク資料を元に書かれています。今回、あらたに佐藤家で見つかった谷中作品… 続きを読む 風船画伯・谷中安規と佐藤春夫
荻悦子詩集より~「空・五月」
空・五月 野鳥が ピシピシ 鳴きながら 空の端を綴じて行く 目の粗い布 漉されるというより 自ら迸り出る 果汁 朝の音 松の木の 新しい銀の花穂 幹から枝へ 絡みついた蔦にも 柔らかな若葉が重な… 続きを読む 荻悦子詩集より~「空・五月」